お天気の良いとある先日、夫とふたりで大阪は天王寺にある一心寺さんにお参りに行ってきました。
一心寺さんでは、わたしの父母と夫の母、夫のおばあちゃんがお骨仏さんになっています。
最初にお骨仏さんになったのは義母。またわたしたち夫婦が20代だったこともあり、その時は単なるお墓参りのような感じでお参りをしてきたんです。
それがわたしたち夫婦も年齢を重ね、お骨仏さんをお参りすることの意味が変わってきたことに気づきました。
今日はそんな気づきを書いてみたいと思います。
一心寺さんの「お骨仏(おこつぶつ)」に感じた温かさ

一心寺さんは、宗派を問わずお骨を受け入れ、10年ごとに集まったお骨で阿弥陀如来像(お骨仏)を造るという仕組みです。
絶えず多くの人がお参りしていて、先日行ったときも平日だったのに、たくさんの方がお骨仏に手を合わせていました。
大阪の天王寺にあるという土地柄かもしれませんが、境内はとてもにぎやかで、ひっそりとした墓地のような寂しさは一切感じません。
一番の魅力は「毎日、誰かが参ってくれる」という寂しくなさ

一心寺のお骨仏は、10年間集められたお骨でできているため、たくさんの方がお骨仏となっています。
そのため一般的なお墓とは違い、たとえ身内がお参りに来られなくても、毎日誰かが手を合わせています。
「両親やおばあちゃんに寂しい思いをさせなくても済むね」と夫とよく話をしていました。
お線香もろうそくも絶えることがありません。お盆とお彼岸のときだけお参りするお墓より、毎日誰かが手を合わせてくれる。そんな安心感が一心寺にはあります。
私たちには子どもがいないので、ふたりが亡くなった後、手を合わせてくれる人が誰もいないという不安がありましたが、自分たちも一心寺でお骨仏にしてもらえれば寂しくないよねという話もするようになりました。
実際に一心寺をお参りして感じたこと

わたしたちは、ほとんど毎月のように一心寺にお参りしています。
いつものように守ってくださることへのお礼と、これからも変わらず見守っていてほしいということを伝えています。
今回は、夫があわや交通事故という場面から救ってくれたこともあり、両親たちにさらなるお礼を言うためにお参りしました。
手を合わせた瞬間に、いつも両親の笑顔を思い出します。夫婦で元気にお参りできたことにも感謝ですし、健康でまいにち機嫌良く過ごせることに対しても感謝をしています。
60代になって考える終活

両親や義母、おばあちゃんがお骨仏さんになってしまっても、今まではお墓参りをしているだけのように感じていました。
それが60代になると、「終活」の2文字が現実になってきます。
病気をしたときどのような治療を受けるのか、どんなお葬式を望むのか、お墓はどうするのかなど、考えておくべきことがたくさんありますよね。
供養の仕方にはいろいろあります。お墓を作って子どもたちに負担を掛けない範囲で参ってもらうのもそのひとつでしょう。
私が感じた「理想の終活」

わたしの実家にも夫の実家にもお墓はありません。
もちろん、おばあちゃんの代までさかのぼれば両親の地元にお墓はありますが、私たちが入れるお墓ではないんです。
自分たちどちらかが先にこの世を去ったとき、残された家族が困らない形で供養ができればいいなと思っています。大きなお墓にはまったくこだわりません。
その意味でも、誰かが毎日お参りしてくれる一心寺はありがたい存在だと思っています。
子どもがいなくても寂しくない。まわりにも迷惑をかけない。そんな理想が一心寺にあるような気がしています。
これからの人生を大切にしたい
毎月のように一心寺にお参りに行くわたしたちですが、一心寺に行くと心が整う気がしています。
亡くなった両親や義母、おばあちゃんはもちろん、それ以上のご先祖様への感謝も込めて、手を合わせている時は本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
夫婦でまた来月もお参りに行きます。桜が咲く季節なので、お花見も楽しめるかな。
60代になってから、供養やお墓について考えることが増えました。みなさんは、ご先祖さまの供養についてどう考えていますか?

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