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徳を積むと自分に返ってくると考えるのは利己的すぎる

お金

こんにちは、りえです。

今日は、「徳を積むと自分に返っているから良いことをしよう!」について考察したいと思います。

聞いたことあります? 徳を積むと良いことが起きるって。だからトイレ掃除をしたり、人に親切にしたり、ゴミを拾ったりするといいんだって。

なんかねぇ。自分の利益を考えて行動してる時点で徳を積んだことにはならないと思うんですよ。

「トイレをキレイにすれば良いこと起きるんやろ。うっしっし」

「道に落ちてるゴミを拾えばお金持ちになるんやろ。ほな拾っとこか。イヒヒ」

「人に親切にしたら自分も親切にしてもらえるんやろ?ほな人助けしとこか」

とか。

こんな気持ちで行動することになんか意味があるんですかね? 私はないと思います。

結局それって、自分のことしか考えてないじゃないですか。どこに徳があるんですか。ただの利己的な行動だと思うんですけど。

徳を積むっていうのは、無意識に人の役に立つことをすることじゃないでしょうか。道で困ってる人がいたら思わず案内している、横断歩道では人を優先するとか人の役に立つことっていっぱいあるんですよ。

ちょっと前、とある講座に入ってたんですけど、そこの講師が「出先でトイレに入ったら必ず持参してるトイレシートで便座を拭いて出てくる」って言ってたんです。

すごいですね!って言ったら、良いことをすると自分に返ってくるからって答えたんですよ。えっ。次に使う人のために拭き掃除をしたんじゃなくて、自分に返ってくる前提で拭いてるの?って耳を疑いました。

そりゃ、公衆トイレをキレイにするって勇気がいりますよ。誰の尿かフンかわからないこびりついたモノを拭くんですから。

でも、なんか違うんですよね。やってることの目的が。公衆トイレの便座を拭くなんてやりにくいことでも、続けていたらそのうちそれが習慣になって、気がついたら利己的な考えなしでできるのかもしれない。その結果、徳を積んだことにつながるのかもしれない。

でも最初というか、とっかかりがあまりにも利己的な気がするのはわたしだけでしょうか。あまりにも自分本位な気がします。

内心、自分のためだと思うならやめましょうよ。意味がない。徳と積むというのは、見返りを求めた行動ではないはず。本当に相手のためにやりたいという気持ちがわいてきたらやれば良い。

イヒヒとほくそ笑みながらでは徳は積めません。みなさんはどう思いますか?

西澤 理恵 西澤 理恵公式メルマガ - リザスト
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