約23年間、音信不通だった母親。再会した場所は末期がん患者が入院する「ホスピス緩和ケア病棟」だった。

よもやま話

こんにちは、 リエ です。

今日、約23年間音信不通だった母親と再会してきました。

母は「ホスピス緩和ケア病棟」に入院しており、もう余命幾ばくもないと連絡があったからです。

連絡をくれたのは2歳年下の妹。

実は妹とも同じく約23年間、音信不通でした。

母が私に会いたがっていると言うので、ネットで必死に探したところ、Facebookで私の名前をみつけたらしくメッセージをくれました。

突然、妹だと名乗るメッセージにビックリして最初は疑っていましたが、母親の名前まで出たのでようやく信じることができ、返事をして今日会うことになったんです。

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子供の頃から母と私は仲が悪かった。

母はかなりのガンコもので、すごく自分勝手な性格でした。

私は母とは性格がまったく合いませんでした。母が嫌いでした。

 

私がオットと結婚して2年目の時に父が亡くなり、「ひとりで寂しいだろう」と言うオットの提案で母と同居することにしました。

最初は仲良く暮らしていましたが、元々母とは性格が合わない。

次第にケンカが増えていき、母は家を飛び出してしまいました。

その後、母は妹のところに身を寄せたようで、妹から電話があって、なぜか私が母をひどくイジメたということになっており、それ以降は妹とも音信不通に。

 

私たち夫婦は家を建て、住所も電話番号も変わったのですが、母や妹の住んでる場所すらわからなかったので、連絡をしないまま23年も経ってしまっていました。

 

癌は手の施しようがない状態。痛みのケアをするだけに。

妹とは母が入院している病院の受付で待ち合わせをしました。

病院の先生のお話では胃、大腸、肝臓に癌がはびこっており、「持っても今年いっぱい」だと。

 

個室に入院している母。

先に妹が病室に入り、

「ばあちゃん!姉ちゃんが来てくれたで!」と声を掛けていました。

私は恐る恐る病室に入り、母と再会しました。

「リエ~、◯◯君(オットの名前)、よう来てくれたなぁ」と言いながらベッドから起き上がろうとする母。

私は、顔も体もふっくらとしていて健康そのものの母しか記憶にありません。

でも目の前の母は、髪の毛はほぼ抜け落ち、頭の先から爪先まで全身に黄疸が出て真っ黄色になっていました。

体は小さくなって痩せこけており、肉の削げ落ちた骨ばった手で私の手を握ってきました。

見ると母の手の甲の半分が紫色に変色しており、点滴の回数が多いことは安易に想像できました。

 

「ごめんな。ごめんな、リエ。会いたかった」と涙を流す母。

私は「今までゴメンな…」というのが精一杯。

母の顔を見ると、23年前の記憶が頭の中に蘇り、ただただ謝りました。

オットも一緒に母の手を握ってくれていました。

 

妹が私を探してくれなかったらお互い誤解したままだった

「なんとしても姉を探さないと」と思ってくれた妹のおかげで、私は母と再会できました。

妹は頑固で自分勝手な母と同居してみて、私の当時の言い分が理解できたようで、

「姉ちゃん、ごめんな。同居してみると大変なのがよくわかった」と謝ってくれました。

私は母とこうやって再会する機会を作ってくれた妹に感謝の気持ちしかなく、お互いの誤解はやっと解けました。

 

母とも言葉を交わして気持ちを伝えることが出来、長年、心に詰まっていたものが溶けていくような感覚です。

母が亡くなってから謝ったって、後悔しかなかったと思います。

ありがとう、姉ちゃんを探してくれて。

 

Facebookをしていなかったらと思うと怖い

ネットで人探しができるということも私は知らなかったんですが、妹は友達に協力してもらいネットを使って私を探したようです。

するとFacebook上に私と同姓同名の方が数人出てきて、片っ端からプロフィールを見たと言っておりました。

オットの下の名前も覚えていたので、私にメッセージを送ったそう。

 

Facebookをしていなかったら私の名前がネット上に出ることもなく、母と妹とは永遠に音信不通になっていたでしょう。

私は母に嫌われているとずっと思っていたので、自分から母を探すことはしなかったんですよね。

探して連絡をとったところで、もうお互いを理解することは出来ないだろうと思い込んでいました。

でもこのまま音信不通だったら、母の本当の気持ちもわかってあげることもできなかっただろうし、母がその時を迎えたことも知らずにいたらと思うと心底恐怖を覚えます。

Facebookをしていてよかった、妹が探してくれて本当に嬉しかった。

 

母の嫌いなところは自分の嫌いな部分

母の顔を見たことで安心すると同時に、今までの記憶がグルグルと頭の中で蘇り、ふと、なぜ私は母が嫌いだったんだろうと考えました。

自分勝手なところ?

ガンコなところ?

あまり心を開かないところ?

 

・・・あ、これって全部、自分の嫌いなところやん。

母の嫌いなところって自分の嫌いな部分だとわかったんです。

母に自分を見るようでイヤだったんです。そう気づきました。

そう気づけたことで、やっと正面から母と向かい合えるかなって思います。

 

母の生命力を信じたい

母には「また来るからね」と約束をして病室をあとにしました。

母は胃を3分の2、大腸も一部を切除し、肝臓には数十個の癌があります。

それでも病院食は全て平らげているらしく、私がいる間にもアイスクリームを1つ完食していました。

担当医からは、

「心臓も弱ってきているので持って今月中、頑張って今年いっぱい。今ご飯を食べてること、生きてることが考えられないくらいの状態です。」と言われました。

今後は痛みの出ないようにケアをしてくださるようで、ありがたい限りです。

 

もう歩くことも出来ず、妹が車椅子で移動させています。

それでもテレビをみて喜んでいたり、アイスクリームを美味しそうに食べたり、私達が来たら嬉しそうに「写真撮ろう」と言ってくれたり。

母の生命力を信じたい。

せっかくやっと母と向かい合える気がしています。

もっと話をしたい。

23年間、心配かけてごめんね。

また病院に行くね。いろいろ話をしようね。

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